断酒奇譚

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酒の不思議な話

若い頃はぜんぜん酒を飲んでいなかった。

学生時代も本ばかり読んでボッチの時間を過ごしていたので、

最初に「酒害」に出会ったのは社会人になってからの飲み会だ。

 

いつもつまらない会社の人たちの顔が輝いて親しげに見えた。

酒ってこんなに楽しいものなのか、と思った。

 

そのうち家でも一人で飲むようになった。

休日はどこかに出かけるよりも、部屋で飲んでいたかった。

出かけるとしても、酒を飲みに出かけるか、飲んでから出かけた。

 

そんな生活が10年くらい続いて、ある時自分は、酒は好きだし、会社の同僚と飲むのは楽しいけれど、同時に酒に困ってもいる自分を見出していた。

 

酒の席で何度か恥ずかしいことをやらかしてしまったこと。

酒を飲んだ翌日、だるくて何もやる気が起きないこと。

肝臓の数値も芳しくないこと。

 

しかし、酒をやめるという選択肢はなかった。

ほとんどのことが酒と結びついていたし、素面でいるのは仕事中くらいだった。

 

その後、結婚したが、妻と出会ったのも酒の席でのことだ。

 

この人生、酒という川に浮かんで進んでいるようだ。

しかし、ときどき溺れそうになり、陸に上がろうとするが、陸の上での生活はひどく味気なく、また川に戻りたくなるのだった。

 

昨日興味深いサイトをみつけた。

心の家路 〜アルコール依存症からの回復と自助グループの勧め〜

 

夜中に、もちろん素面で読んでいたのだが、なんというのだろう、奇妙に興味がそそられて、結局明け方近くまで読み通してしまった。

それでもまだ全部読みきっていないので、続きはこれから読もうと思う。

 

むかし観たトレインスポッティングという映画にも感じたことだが、アルコールや薬物にはまってしまうと、人生がそれを中心に回り出す。

「それをやる」

「それをやめる」

「それについて考える」

 

なるほど濃厚な付き合いだ。

 

人は常に何かに依存しているとは思う。

仕事や恋人や、そのほかなんでもいい。

それがたまたま「それ」だった、ということなのだと思う。

 

少なくとも、茫漠とした真っ暗な宇宙のような世界で、つかまる場所はできたのだ。

 

思うのは、酒を飲み始める前の人生では、つかまるものがなく、非常に心細かったということだろう。

その頃は主に文学の世界に何かを求めていた。

 

ここではない、どこかへ」常に向かう気持ちがあった。

 

外国に行けば、人生が変わる。

何かをきっかけにして、人生が変わる。

 

そうだ、変わることを求めていたのだ。

 

たとえば、外国の写真を見る。

ストックホルムなんかがいい。

そこには当然のことながら、これまでの人生で一度も関わりあったことがなく、恐らくはこれからの人生でも関わり合うことのないであろう人たちの生活が写っている。

 

日本とは全く違う造りの建物の窓に、明かりが灯っていて、暖かい色だ。

 

そこに住んでいる住人だったら、どんな人生だっただろう。

 

そんなふうに思うだけで、1時間くらい意識が飛んでしまうのだった。

 

だが、そのうち就職して忙しさと酒の味を覚えると、そんなことを考えることもなくなった。

 

あれから10年あまりが過ぎ、ふと仕事を離れ、酒も離れて見ると、自分にはまた、なんの縁もない遠い場所を空想する癖が残っていたことに気づく。

 

10年あまりまともに読書もしてこなかった。

久しぶりに読んで見るか。